ギャラリー間で開催されていた,千葉学「そこにしかない形式」展に行きました.
作品に関しては,どれもよく知っているものばかりだったのですが,
この展覧会は,模型の展示方法がとっても面白い.
例えば「Project I」の模型は,建物ばかりでなく,敷地の周辺までかなりの大きさで
つくられているのですが,その模型は敷地ごとアイレベルに浮いていて,
建物の模型までは,敷地模型に弧を描くように穿たれた2つの穴を通って近づきます.
その穴の穿ち方は,建物の裏と表を交互に眺められるようにはなっていなくて,
建物模型の裏側を見た後に表側を確認したくなると,敷地模型をぐるっと廻り,
もう1つの穴から眺めることになります.非常にフラストレーションがたまる展示方法.
しかしこの構成は,千葉学の作品で「八ヶ岳の別荘」などに典型的に現れる,
歩く距離として離れた二つの空間が,ヴォイドを介して出会うような空間の構成を,
まさしく反転させたものになっています.
千葉学の作品の平面図を見ていて,ぐるっと廻ったその先で,
思いがけずさっきいた場所に出会うという体験は,いかにも楽しそうだなぁと
想像することがよくあるのですが,これは「フラストレーションがたまった」
その先にある感情が裏返ったものだといえるでしょう.
つまり千葉学は,おそらく意識的に,自分の建物の空間体験を通じて得られる
感情までをも展示していて,しかもそれを裏返すことによって,
ある種の抽象化を行っています.
建築の展覧会というのは,「展示」という分野では例外的に,
本物を置かないこと,置けないことが大きな特徴なわけですが,
それはつまり,展示物と実物との間にできる距離を縮めることよりも,
むしろそのズレ自体を意識させることの方が,建築固有の価値との接続性が
高いということを意味していて,そのことを明示しているという点において,
この展示はとても知的だと思うのです.
20090605 追記
後日,千葉事務所で展示計画を担当された猪熊純さんにこの話をしたところ,
「そんなこと全然考えてなかったです〜」とのこと.
そういうわけで,この場所では余計な深読みがしばし登場するものと思われます...
とはいえ,建物がつくられた当初には意識されていなかった,いわば建築の深層心理のようなものを,
物理的な建築の現れから遡及的に読み取るという行為に,個人的には興味を惹かれつつあるところです.
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