という議論が,とあるSNSの数学板で展開されていて,
門外漢ながら非常に楽しく眺めていました.
そこでの議論によると,無限に広い平面上では,わずかでも視線を下に向けると,
視線の先はいつか必ず地表面にぶつかるので,どんな背の高さの人にも,
地変線はちょうど目の高さに見えるそうです.
もちろん,地上10000mに建設されたエアポートに登れば,
地平線は10000m+目までの高さの位置に見えるはずです.
さらに,地平線の位置に見えるものは,事実上無限遠の地点にあたり,
かつ光速度は有限なので,地平線の位置は観測者にとって
「何の情報も届かない」領域であるはずだ,とか,
いやいや人間は空集合だって認識できるんだから,
「何もない領域」だって線として認識できるはずだ,等々,議論は進みます.
この議論は,見る人によって様々に様相を変える,アンビギュアスな空間的現象であること,
幾何学・物理学・認知心理学などが複雑に絡み合って生じる現象であること,
という二点において,青木淳が青森県立美術館で目指したものに
重なっているように思えます.
青森県立美術館は,遠くから見ると,古典的なモダンデザインの理念,
もしくはミニマリズムに裏打ちされた,単純で抽象的な白いキューブに見えますが,
もう少し近づくと,抽象的なキューブだと思っていた建物が,
突如生々しい物質性を放ち出します.
この瞬間,白いキューブがレンガ積みによるものであることに,
見る人は気付いているはずです.
さらに近づくと,キューブに穿たれたアーチ窓の形状に全くそぐわず,
頑なに水平なまま積まれているレンガや,軒天さえも覆っているレンガに気付き,
このレンガが力学に即していないこと,すなわち、レンガの物質性だけが偽装され,
力を支える原理はそのさらに裏にあることが了解されます.
しかし建築的なリテラシーの無い人には,この位置に来ても建物の観念上の変化が
起こらないかもしれません.
内部空間はさながら迷路,もしくは入り組んだ都市のようで,
延々と歩き続けたはずなのに,突如だいぶ前にいたはずの空間に放り出されたりして,
頭の中に描かれたこの美術館の平面図はぐにゃぐにゃと歪んでいき,
目の前に広がる水平と垂直と直角で構成された空間との違和感は広がるばかりです.
しかしこの違和感も,建物の平面図を想像するなんて余計な作業をしたばっかりに
生じたものなのかもしれません.
こんな風に,青森県立美術館は,見る人によって全く見え方が異なっていて,
さらに言えば,一人の人間の中にも異なるたくさんの青森県立美術館の姿が
同時に認識される,そんな空間です.
何年か経って,この場所を訪れたこの日を思い出すときに,頭の中に思い浮かぶ
たくさんの姿のうち,どれがこの建物の「正しい」姿だったのかわからなくなり,
僕は混乱するのかもしれません.
もしくは,記憶に霞がかかったように,この建物の「正確な」姿を
思い出すことが出来ないのかもしれません.
いずれにしても,この白くて四角い建物が,その内部に迷宮のように複雑な内部を
孕んでいたように,これを見る人自身も,自己の内に認識の迷宮を抱え込むのです.
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